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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)1288号 判決

原告 横山武光

右訴訟代理人弁護士 荻津貞則

被告 玉利義男

被告 玉利和子

右被告両名訴訟代理人弁護士 松井一彦

同 大谷昌彦

右訴訟復代理人弁護士 市野澤邦夫

同 中川徹也

被告 江東区

右代表者区長 小松崎軍次

右指定代理人 山下一雄

〈ほか五名〉

主文

一  被告玉利義男及び同玉利和子は、各自、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年三月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告玉利義男及び玉利和子に対するその余の請求並びに被告江東区に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告玉利義男、同玉利和子との間においては、各自に生じた費用は各自の負担とし、原告と被告江東区との間においては、全部原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告らは、各自、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する被告玉利義男、同玉利和子については昭和五〇年三月二日から、被告江東区については同年二月二六日からそれぞれ完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

二  被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の地位

(一) 原告は、東京都江東区扇橋一丁目七番二五宅地四九・四二平方メートル(以下「七番二五の土地」といい、本件で問題となるその他の土地の表示も、地番、地積を除き同一なので、地番で表示する。)及び右土地上に存する木造トタン葺平家建居宅(以下「原告建物」という。)を所有している。

(二)(1) 原告は、昭和二九年五月ごろ、原告建物を当時の所有者松崎保より買い受け、以来、右建物に居住し、同所でクリーニング業を営んでいるものであるが、当時、右建物の敷地である七番二五の土地は、地主斉藤某より賃借していた。

(2) 当時より七番二五の土地は直接公道に接していない袋地であり、右土地の北側にある七番一二の土地(四九・四二平方メートル)の西側端部分に設けられていた幅員四尺(一・二一メートル)の私道(以下「本件私道」という。)によって公道に通じていた(右両土地と公道との位置関係は別紙図面(一)記載のとおりである。)が、当時七番一二の土地の地主であった斉藤某はもとより、借地人であった林芳松も、本件私道に対する原告の囲繞地通行権を認め、林芳松が昭和三二年一〇月ころ七番一二の土地を買い受けて後も、同人は、原告の右通行権を認め、以来、原告は、本件私道を通行利用して来た。

2  被告玉利両名の地位

(一) 被告玉利和子(以下「被告和子」という。)及びその母関谷はるは、昭和四七年一二月一五日、林芳松の相続人より七番一二の土地を持分各二分の一の割合で買い受けたが、被告和子の夫である被告玉利義男(以下「被告義男」という。)は、当時江東区議会議員(三期目)で、昭和四八年三月五日から昭和四九年四月九日まで区議会における建築公害委員会委員であった。

(二) 被告義男は、昭和四八年三月八日、被告江東区建築主事(以下「区建築主事」という。)に対し、被告和子名義で七番一二及び七番二五の土地を建築敷地として、別紙物件目録記載の建物(以下「被告建物」という。)を建築するについての確認申請(以下「本件確認申請」という。)をし、区建築主事より同月一四日、建築確認(以下「本件建築確認」という。)を得たうえ、同年七月一八日、七番一二の土地上に被告建物を完成し、同年一二月一八日、被告和子名義で所有権保存登記手続を了した。

3  被告玉利両名に対する損害賠償請求

(一) 加害行為

(1) 被告義男は、昭和四八年三月七日、原告方を訪ずれ、原告に対し、被告建物の新築完了までに原告建物の東側一部を取り毀す旨記載された書面(以下「原告念書」という。)を示したうえ、被告建物について建築確認を得るのに必要な書面であり、書類上だけのことで、原告には迷惑をかけない旨述べて、原告の署名捺印を求めた。原告は、昭和四七年一一月二五日ころより被告義男に対し、原告建物の改築に備えて本件私道を拡幅すべく、七番一二の土地のうちの本件私道部分を一間(一・八一メートル)幅で譲渡するよう申し入れていたので、原告の右申入れに被告義男が応じるなら右書面に署名捺印する旨答えたところ、被告義男は、右申入れに応じることを確認した(以下「本件私道に係る合意」という。)。そこで、原告は、その場で右書面に署名捺印して被告義男に手渡した。

(2) しかるに、被告義男は、同月二八日、被告和子を施主として七番一二の土地に被告建物の建築に着工したが、基礎工事段階で既に本件私道に係る合意を無視して、本件私道部分の幅員は、従前四尺あったものを、それをも削ってわずか七〇センチメートルしか残さなかった。被告義男は、原告の抗議にも耳を貸さず、その後建築工事を続行したので、原告は、同年五月二九日、被告玉利両名を債務者として東京地方裁判所に同年(ヨ)第三五〇三号をもって工事中止等の仮処分申請(以下「本件仮処分申請」という。)をしたが、被告玉利両名は、右申請後も建築工事を続行し、同年七月一八日、七番一二の土地に被告建物を完成させた。

(3) ところで、被告玉利両名は、被告建物の建築に際して、実際は七番一二の土地のみを建築敷地として被告建物を建築するにもかかわらず、当初より隣地を右建物敷地に含ませて建築基準法(以下「建基法」という。)所定の建ぺい率を超過する違反建築をする意図のもとに、原告を欺罔して本件私道に係る合意をして原告念書を取得したうえ、これを本件確認申請書に添付し、さらに、被告和子作成に係る内容虚偽の、原告建物を可及的速やかに徹去することを所有者と了解のもとに実行する旨記載された昭和四八年三月七日付書面(以下「被告念書」という。)を右確認申請書に添付して、区建築主事を欺罔し、あるいは、被告義男の江東区議会議員の地位を濫用して区建築主事に圧力をかけて、本件建築確認を取得したものである。

(4) 被告建物の敷地である七番一二の土地の建ぺい率は六〇パーセントであり、敷地面積は実測四九・八一平方メートルであるから、建築面積二九・八八平方メートルを超える建物は本来建築できないにもかかわらず、被告玉利両名は、共謀のうえ、(1)ないし(3)記載のとおり違法に本件建築確認を取得したうえ、右建ぺい率の制限を大幅に超過する建築面積三九・九七平方メートル(登記簿上は三九・九六平方メートル)の被告建物を建築完成させた。

(二) 原告の被害

被告玉利両名が建基法違反の被告建物を建築したことにより、原告は、次のとおり被害を受けた。

(1) 被告建物の建築により本件私道の幅員が四尺からわずか七〇センチメートルに狭められ、本件私道に対する原告の囲繞地通行権が侵害された。その結果、公道から原告建物玄関までの六メートルの距離は、降雨時にかさも満足に開けない状態で通行しなければならず、また、玄関のドアも満開できず、原告の日常生活に不断の悪影響を及ぼしている。

(2) 本件私道部分に幅員七〇センチメートルの間隔空間を残すのみで、その東側に被告建物が、その西側七番一三の土地上に栗原某所有の建物が建っているため、原告建物の存在が公道からよく見えず、原告建物でクリーニング業をしている原告にとって顧客が減少したほか、本件私道からの新規のクリーニング機械の搬入もできず、営業上多大の被害を受けている。

(3) 三階建の被告建物により平家建の原告建物の採光、通風が阻害され、また、圧迫感を受けている。

(4) 原告の日常生活において、被告建物により保健衛生上悪影響を受けているほか、火災の場合も不測の危険にさらされるおそれがある。

(5) 原告所有の七番二五の土地の利用価値が減少して、地価が低下した。

(三) 損害賠償義務

前項(1)ないし(5)の原告の被害は、社会生活上原告において受忍すべき限度を著しく超えているというべきであるから、被告玉利両名は、民法七〇九条、七一九条一項に基づき、右被告らの前記加害行為により原告が右(1)ないし(5)の被害を受けたことによる精神的苦痛に対し、慰藉料を支払うべき義務がある。その慰藉料の額は、右被害の程度に鑑みて金一〇〇〇万円が相当である。

4  被告江東区に対する損害賠償請求

(一) 区建築主事の違法行為

(1) 本件建築確認の違法

(イ) 本件建築確認に至る経緯

被告建物についての建築確認申請は、当初七番一二と七番一三の土地を建築敷地としてなされていたところ、被告江東区の担当吏員の現地調査の結果、七番一三の土地には栗原某所有の建物が存していることが判明したため、右担当吏員が本件確認申請の代理人で、被告建物の設計者である山下祐幸に対し、右栗原作成に係る同人所有の右建物を取り毀す旨の念書の提出を求めたところ、その後、被告玉利両名は、被告建物の建築確認申請における建築敷地のうち七番一三の部分を七番二五に変更したうえ、原告念書を添付して本件確認申請に及んだ。区建築主事は、原告念書のほかに被告念書の提出も受けたうえ、本件建築確認をした。

(ロ) 本件建築確認の具体的違法性

本件建築確認に至る経緯に鑑みれば、区建築主事としては、本件確認申請書並びにこれに添付された原告念書及び被告念書を検討して、当然に被告玉利両名が建基法所定の建ぺい率の制限を潜脱するために七番二五の土地を建築敷地に加えていることの疑いを持つべきであり、かつ、その場合においては、たとえ書面審理を原則にするとはいえ、原告に対し事前に原告念書及び被告念書の内容が事実かどうかを調査すべきであった。右事前調査をすれば本件確認申請が建ぺい率違反の建物の建築を企図した違法なものであることが容易に判明したにもかかわらず、区建築主事は、右事前調査もせずに本件建築確認をした。これは、区建築主事において、本件確認申請が建ぺい率違反の建物の建築を企図した違法なものであることを認識しながら、被告義男が江東区議会議員で、かつ、区議会の建築公害委員会委員であったために故意に本件建築確認をしたか、あるいは、過失によって本件確認申請の違法を知らずに本件建築確認をしたかのいずれかである。したがって、そのいずれであっても、本件建築確認は違法を免れない。

(2) 本件建築確認の取消等を怠った違法

原告は、被告建物の建築が開始された直後の昭和四八年三月二九日、被告義男が本件私道に係る合意を無視して右建築工事に及んでいることを知り、直ちに、被告江東区の担当吏員に建築現場への臨場を求め、右現場において、担当吏員に対し、同吏員が持参した関係書類を閲覧したうえ、原告念書及び被告念書の内容は虚偽で、被告建物は建ぺい率の制限に違反する建築であることを訴えた。したがって、区建築主事としては、被告建物の建築工事の当初において右建物が違反建築物であることを認識したのであるから、直ちに本件建築確認を取り消すか、あるいは、設計変更等の適宜の行政指導をすべきであったにもかかわらず、これを放置して右建物の建築工事を続行させたのは違法である。

(二) 江東区長の違法行為

特定行政庁たる江東区長には、建基法九条一項所定の違反建築物に対する是正措置を怠った違法がある。

すなわち、特定行政庁たる江東区長は、区建築主事において被告建物が建ぺい率の制限に違反する建築物であることを知って間もなく、このことを当然に認識したものというべきであるから、被告玉利両名に対し、建基法九条一項に基づき直ちに被告建物の建築工事の施行の停止命令等の是正措置をとるべきであったにもかかわらず、このような措置をとらずに右建物の建築工事を続行させ、完成させたうえ、その後もこれを放置したのは違法である。

(三) 損害賠償義務

(一)、(二)記載の区建築主事及び江東区長の違法行為は、いずれも公共団体たる被告江東区の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて故意又は過失によってなしたものである。

右違法行為の結果、原告は前記3項(二)記載の被害を受けたというべきであるから、これによる原告の精神的苦痛に対し、被告江東区は国家賠償法一条一項に基づき慰藉料を支払うべき義務がある。その慰藉料の額は、前記3項(三)記載のとおり金一〇〇〇万円が相当である。

5  結語

よって、原告は、被告ら各自に対し、慰藉料金一〇〇〇万円及びこれに対するいずれも違法行為後である被告玉利両名については昭和五〇年三月二日から、被告江東区については同年二月二六日からそれぞれ完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び反論

1  被告玉利両名の認否

(一) 請求原因1項について

(1) (一)の事実は認める。

(2) (二)のうち(1)の事実は認める。

(2)のうち、七番二五の土地が本件私道によって公道に通じていること、七番二五と七番一二の各土地と公道との位置関係が別紙図面(一)記載のとおりであることは認めるが、本件私道の幅員が四尺であったことは否認し、原告が本件私道について囲繞地通行権を有することは争う。その余の事実は不知。

本件私道の幅員は約三尺(〇・九〇メートル)であったが、別紙図面(二)記載のとおり、七番一二の土地に存した林芳松所有の建物は、台所の外に風除けのため幅約五〇センチメートルの衝立があり、また、本件私道の西側の七番一三の土地に存した栗原某所有の建物の東側には窓の目かくしがあり、その他建築用材なども置かれていて、現実に通路として利用しうる本件私道の幅員は、四、五〇センチメートルにすぎなかった。

(二) 同2項について

(1) (一)の事実は認める。

(2) (二)のうち、被告和子が七番一二及び七番二五の土地を建築敷地として本件確認申請をし、区建築主事より本件建築確認を得たうえ、原告主張のとおり被告建物を完成し、所有権保存登記手続を了したことは認めるが、被告義男が被告和子名義で本件確認申請をしたこと、本件確認申請の日付が昭和四八年三月八日であることは否認する。

本件確認申請は昭和四八年二月二二日付でしたものである。

(三) 同3項について

(1) (一)の(1)のうち、被告義男が原告に対し原告念書に署名捺印するよう求め、原告がこれに応じて署名捺印のうえ原告念書を被告義男に手渡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告義男が原告から原告念書の交付を受けたのは昭和四八年二月二六日であり、その際、被告義男は、原告に対し、原告建物を将来改築する場合、現状では建築確認が得られないので、被告建物の増築という形で建築確認が得られるように協力する旨申し入れ、原告は、右申入れを了承して原告念書を被告義男に交付したものである。

(2)の事実は、被告義男が本件私道に係る合意を無視したこと、被告義男が原告の抗議に耳を貸さなかったことを除き、認める。

なお、被告建物の建築にあたり、本件私道部分の幅員は、最も狭いところで七〇センチメートル、柱部分以外では八五センチメートル確保してある。また、本件仮処分申請後も被告建物の建築工事を続行したのは、次の事情による。すなわち、被告玉利両名は、本件仮処分申請により一時工事を中止したが、審尋期日において原告の代理人関弁護士と和解のための話合いを進めた結果、昭和四八年六月二九日、被告和子が原告より七番二五の土地を買い受けることで合意が成立し、その直後、右原告代理人の了解を得て工事を再開したものである(なお、原告は、代金支払が予定されていた同年七月二六日の審尋期日において右合意を一方的に破棄した。)。

(3)のうち、本件確認申請書に原告念書及び被告念書が添付されていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4)のうち、被告建物が原告主張のとおり建ぺい率の制限を超過していることは認めるが、その余の主張は争う。

なお、その後被告和子は、被告建物について建ぺい率違反を除去するため、昭和五一年九月、建築面積を二九・八一平方メートル(建ぺい率五九・八四パーセント)に改造する工事に着手し、右工事は同年一二月三〇日完了した。

(2) (二)の主張はいずれも争う。

(3) (三)の主張は争う。

2  被告江東区の認否

(一) 請求原因1項について

(1) (一)の事実は認める。

(2) (二)の事実はいずれも不知。

(二) 同2項について

(1) (一)のうち被告義男が江東区議会議員(三期目)で、昭和四八年三月五日から昭和四九年四月九日まで区議会における建築公害委員会委員であったことは認めるが、その余の事実は不知。

(2) (二)のうち、被告和子名義で本件確認申請がなされ、区建築主事が昭和四八年三月一四日本件建築確認をしたこと、原告主張のとおり被告建物が完成し、所有権保存登記手続がなされたことは認めるが、本件確認申請が同月八日になされたこと、本件確認申請の当初より七番一二及び七番二五の土地が建築敷地とされていたことは否認する。

本件確認申請は、同年二月二二日付でなされたものであり、その際の建築敷地は七番一二と七番一三の土地であった。

(三) 同3項について

(1) (一)の(1)、(2)の事実は不知。

(3)のうち、本件確認申請書に原告念書及び被告念書が添付されたことは認めるが、その余の事実のうち、被告玉利両名に関する部分は不知、被告江東区に関する部分の主張は争う。

(4)のうち、被告建物が原告主張のとおり建ぺい率の制限を超過していることは認める。

(2) (二)の事実は不知。

(四) 同4項について

(1) (一)の(1)のうち、(イ)の事実は認める(前記のとおり、本件確認申請は昭和四八年二月二二日付でなされたものであり、その際七番一二と七番一三の土地が建築敷地となっていた。)が、(ロ)の主張は争う。

(2)のうち、被告江東区の担当吏員が昭和四八年三月二九日原告からの連絡で関係書類を持参のうえ現場に行ったこと、右現場において原告から被告建物が違反建築ではないかと言われたことは認めるが、その余の主張は争う。

(2) (二)の主張は争う。

(3) (三)の主張は争う。

3  被告江東区の反論

(一) 本件建築確認の適法性について

建築主事の行う建築確認は、建築主が一定の建築物を建築しようとする場合、あらかじめ建築物の計画が当該建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定(以下「関係法令」という。)に適合するものであることについて、確認申請書を提出させて行うものである(建基法六条一項)。つまり、建築確認は、提出された確認申請書の内容に基づいて当該申請建築物の建築計画が関係法令に適合しているかを申請書類の上で抽象的に判断する行為である。したがって、建築確認は書類審査をもって足り、建築主事は現場調査の義務を負うものではない。また、建築確認の右に述べた性質に鑑みれば、申請書類上当該建築物の敷地内に既存の建築物があっても、右既存建築物を除却したうえ申請に係る建築物を建築する計画であれば、建築主事は、建築確認をしてもさしつかえないのである。そして、申請に係る建築物が現実に完成した後に、既存建築物が除却されないで申請に係る建物の敷地内に存在していたとしても、そのことによって右建築物の建築計画に対してなされた建築確認が違法となるものではない。

これを本件についてみると、区建築主事は、本件確認申請の内容を審査したところ、右申請に係る建物の敷地とされている土地の一部に原告建物が存在したが、右建物は除却されることが申請書類上明らかであった。したがって、本件建築確認は適法であり、原告主張のような違法はない。

なお、区建築主事は、事前に原告念書及び被告念書を徴しているが、これは、右の念書によって、原告建物の除却計画の存在の確実性を得てから建築確認をすることにより、確認後に建築される建物(被告建物)が適法となることを担保するため、さらには、当該建築物の関係者と原告との将来の争いを未然に防止するために行政指導として行ったものである。

(二) 区建築主事の無過失について

(1) 本件建築確認に際しては、原告建物が本件確認申請に係る建物(被告建物)の敷地の一部に存したが、右建物は、確認申請書添付図面により除却されることが明示されていた。したがって、区建築主事が右確認申請書添付図面により原告建物の除却計画を認識し、本件建築確認をしたとしても、前記のとおり建築確認は書類審査で足りるから、区建築主事に過失はないというべきである。

(2) 仮に、右主張が認められないとしても、次のとおり区建築主事に過失はない。

区建築主事は、本件建築確認にあたっては、原告建物についての除却計画の存在を信じたものであるが、右除却計画の存在を信じた理由は、原告念書及び被告念書が提出されたこと並びに右各念書が提出された際被告義男が区建築主事に対し、原告と被告和子との間で同被告が七番二五の土地を三・三平方メートル当り金四〇万円相当で買い取る旨交渉中であって、同被告が右土地を買い取ることは間違いない旨言明したことからである。なかでも、原告みずから作成した原告建物の東側一部を取り毀す旨の原告念書は、右念書のみでは原告建物の東側のどの部分までが取り毀されることとなるのか特定できないが、原告が被告建物の建築のために原告建物の一部を取り毀すことを証したものであって、区建築主事が原告建物の除却計画の存在を信じるには十分なものであった。

右の理由によって原告建物の除却計画の存在を信じた区建築主事にとって、考えられる事前調査は十分尽しており、本件建築確認をしたことに過失はないというべきである。

(三) 区建築主事及び特定行政庁の不作為の違法について原告は、区建築主事が本件建築確認の取消等をせず、また、特定行政庁たる江東区長が被告建物の建築工事の施行の停止命令等の是正措置をとらなかったのは不作為の違法がある旨主張する。

しかしながら、建基法九条一項は、特定行政庁が違反建築物について是正命令をすることができる旨規定したものであって(区建築主事については原告主張のような行為をする権限もない。)、違反建築物があれば必ず是正命令をしなければならないことを規定したものではない。すなわち、特定行政庁が是正命令をすることは、特定行政庁の権限であって義務ではない。したがって、区建築主事及び特定行政庁たる江東区長に原告主張のような不作為の違法はない。

第三証拠《省略》

理由

一  原告の地位について

1  請求原因1項(一)の事実は当事者間に争いがない。

2(一)  同項(二)(1)の事実は、原告と被告玉利両名との間においては争いがなく、被告江東区との間においては原告本人尋問の結果によりこれを認めることができる。

(二)(1)  《証拠省略》によれば、原告が昭和二九年五月ころ原告建物を松崎保より買い受けた当時、その敷地である七番二五の土地及びその北側にある七番一二の土地は、共に斉藤某の所有に属したが、別紙図面(一)記載のとおり七番二五の土地は当時より直接公道に接していない袋地であり、七番一二の土地の西側端部分に設けられていた長さ六メートルの本件私道によって公道に通じていたこと(右私道の幅員についての判断は後述する。)、原告が原告建物を取得した際には、七番一二の土地の借地人であった林芳松は、原告の本件私道に対する通行利用を、原告建物の前所有者であった松崎保の場合と同様に容認することを書面をもって承諾し、その後林芳松が昭和三二年一〇月ころ七番一二の土地を買い受けて後も、同人は、従前同様本件私道に対する原告の通行利用を容認し、原告は、以来本件私道を通行利用してきたこと、原告は、本件私道の通行利用に対する謝礼として、林芳松に対し、当初は毎月清酒一升程度持参したが、その後は、昭和四七年ころまで毎年盆暮に中元あるいは歳暮という形で清酒やしょう油を持参していたこと、以上の各事実が認められる。

(2) 次に、本件私道の幅員及び状況等について検討する。

《証拠省略》によれば、七番一二の土地は、公道に面した北側及び七番二五の土地に面した南側の幅員がいずれもほぼ四・六間(実測八・三七〇メートル)、東側と西側の幅員がいずれもほぼ三・二五間(実測六・九五〇メートル)の矩形の土地であること、七番一二の土地上には、昭和二九年五月当時より昭和四七年暮ころまで林芳松所有(同人死亡後はその相続人所有)の木造平家建居宅が建っていたが、右建物の間取りは、別紙図面(二)記載の上段の間取図のとおりであり、したがって、右建物の東西の幅員は三・五間(六・三七メートル)で、右建物の東西両側には隣地境界線までの間に合計一・一間(六尺六寸、二・〇〇メートル)の空地部分が存したこと、右の東西両側の空地部分は、いずれもその幅員が等しければ双方三尺三寸となるところ、本件私道の設けられていた西側空地部分の幅員は東側空地部分のそれより明らかに広かったこと、以上の各事実が認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。右認定事実に加えて、《証拠省略》を総合すれば、七番一二の土地の林芳松所有建物の西側空地部分の幅員は四尺であったと推認するのが相当である。

(3) ところで、《証拠省略》によれば、昭和三〇年ころ七番一二の土地の西側空地部分に突き出す形で林芳松所有建物の台所外側に幅約五〇センチメートルの風よけのための衝立が設置され、また、七番一二の土地の西側の七番一三の土地に存した栗原某所有建物の東側には窓の目かくしが七番一二の土地の西側空地部分に突き出ており、その状況はほぼ別紙図面(二)記載のとおりであったことが認められるが、前記(1)、(2)で認定した各事実に《証拠省略》を総合すれば、七番一二の土地の西側部分の幅員四尺の空地部分が原告において通行利用していた本件私道に該当し、右認定のとおり本件私道の一部分には衝立や窓の目かくしが突き出していたにしても、全体的にみれば、右の幅員四尺の本件私道について、遅くとも林芳松が昭和三二年一〇月ころ七番一二の土地の所有権を取得して以来、原告は、民法二一三条に基づく囲繞地通行権を有し、右通行権に基づき本件私道を通行利用してきたものと認定するのが相当であ(る。)《証拠判断省略》

二  被告玉利両名の地位について

1  請求原因2項(一)の事実は、原告と被告玉利両名との間においては争いがなく、被告江東区との間においては《証拠省略》によりこれを認めることができる(被告義男が原告主張のとおり江東区議会議員で、区議会における建築公害委員会委員であったことは、被告江東区との間においても争いがない。)。

2  請求原因2項(二)のうち、区建築主事に対して被告和子名義で被告建物についての本件確認申請がなされ、区建築主事が昭和四八年三月一四日本件建築確認をしたこと及び同年七月一八日七番一二の土地上に被告建物が完成し、同年一二月一八日被告建物について被告和子名義の所有権保存登記手続がなされたことは当事者間に争いがない(本件確認申請手続の詳細は後に判断する。)。

三  被告玉利両名に対する損害賠償請求について

1  加害行為について

(一)  《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 原告は、昭和四七年一一月二五日ころ、林芳松の相続人林あさから七番一二の土地を被告和子及び関谷はるが買い受けることを聞き知って、被告玉利両名のもとに赴き、被告義男に対し、原告建物の改築に備えて本件私道部分を譲り受けたい旨懇請し、その後さらに同年一二月二〇日ころ原告の妻横山きねも被告義男に対し原告同様の懇願をしたところ、被告義男は、その検討を約したので、原告は、翌昭和四八年一月ころ再度被告義男のもとに赴き、同被告に対し、より具体的に本件私道部分を一間幅で原告に売却するか、あるいは七番二五の土地の一部と交換するか、そのいずれかをしてくれるよう懇請したが、被告義男は、これを拒絶し、その場は物別れに終った。

(2) 被告義男は、昭和四八年三月七日、突然原告宅を訪ずれ、原告に対し、被告建物の新築完了まで原告建物の東側一部を取り毀す旨記載された原告念書を示したうえ、被告建物について建築確認を得るのに必要な書面であり、書類上だけのことで原告には迷惑をかけない旨述べて、原告の署名捺印を求めた。そこで、原告が被告義男に対し、再度、本件私道部分を一間幅で譲ってくれるかどうかの確認を迫ったところ、被告義男は、直接的な明言を避けながらも、原告建物の改築ができるよう善処する趣旨のことを述べて、被告建物の建築後にこれに応じるかのごとき態度を示したので、原告は、被告義男がこれに応じたものと理解し、その場で原告念書に署名捺印して被告義男に手渡した(なお、その際、原告が主張するように本件私道に係る合意が明確に成立したことについては、原告本人尋問の結果のうちのこれに副う部分は、その前後の状況についての供述内容が必ずしも明確でなく、被告義男本人尋問におけるこれと反対趣旨の供述とも対比するとき、原告の右供述から直ちに本件私道に係る合意の成立を認めるにはいまだ十分でなく、他に、これを認めるに足りる的確な証拠はない。)。

(3) 同月二八日、被告和子が施主となって七番一二の土地に被告建物の建築工事が開始されたが、右工事は、前認定のとおり幅員が四尺あった本件私道を削って、右土地の西側端にその幅員をわずか七〇センチメートル残すのみで、本件私道部分にまで被告建物を建築するものであったため、基礎工事段階でこのことに気付いた原告は、翌二九日の地鎮祭の際、被告義男に対し抗議したが、被告義男は、これに耳を貸さなかった。同日、原告は、直ちに被告江東区の担当吏員に建築現場への臨場を求め、右現場において担当吏員に対し、被告建物が建ぺい率の制限に違反する建築物であることを訴えるなどしたが(なお、このことは被告江東区に対する関係で後に詳述する。)、その後も被告建物の建築工事は続行されたので、原告は、同年五月二九日、被告玉利両名を債務者として東京地方裁判所に工事中止等を求める本件仮処分申請をした。

(4) 本件仮処分申請後、被告玉利両名は、一時建築工事を中止したうえ、右仮処分手続における審尋期日において、原告の代理人関弁護士と和解のための話合いを進めた結果、同年六月末ころ、右原告代理人との間で被告和子が七番二五の土地を買うことで一応の合意をみた。そこで、被告玉利両名は、右原告代理人の了解を得たうえ建築工事を再開し、同年七月一八日、七番一二の土地上に被告建物を完成させたが、その後間もなく、被告和子が七番二五の土地を買う交渉は、右原告代理人と原告との意思疎通が欠けていて原告が十分納得するまでに至っていなかったため決裂した。

(5) ところで、被告建物についての本件確認申請は、被告和子によって昭和四八年二月二二日付をもってなされたが、事実上、被告義男が右申請手続を代行した。被告玉利両名は、当初より被告建物を七番一二の土地上に建築する予定であったが、本件確認申請においては、その建築敷地として七番一二の土地のほか栗原某所有の七番一三の土地をも申請した。ところが、被告江東区の担当吏員が現地調査をした結果、七番一三の土地には栗原某所有の建物が存していることが判明したため、右担当吏員は、本件確認申請の代理人で、被告建物の設計者である山下祐幸に対し、右栗原作成に係る同人所有の右建物を除却する旨の念書の提出を求めた。右山下よりその旨の連絡を受けた被告義男は、早速右栗原に対しその旨の念書の交付を求めたが、これを拒絶されたため、今度は、本件確認申請における建築敷地を七番一二の土地のほかに七番二五の土地に変更したうえ、前記のとおり原告念書を取得して、これを本件確認申請書に添付して区建築主事に提出した。その事前審査にあたった被告江東区の建築公害部建築課建築第一係長中島高一は、原告念書では原告建物のうちの除却する範囲が不明確であったため、被告義男に対し、原告建物について除却する範囲を明確にした同趣旨の念書の提出を求めたところ、当時被告玉利両名と原告との間に七番二五の土地を被告玉利両名が売買などで取得する話などはまったくなかったにもかかわらず、被告和子は、原告建物を可及的速やかに撤去することを所有者と了解のもとに実行する旨記載した昭和四八年三月七日付被告念書を作成して、被告義男を通じて区建築主事宛に提出した。その際、被告義男は、右中島係長から被告念書の内容の実現可能性について問い質されたのに対し、口頭で、原告との間には原告建物の買取りの話が進行中であり、間違いなく実行できる旨説明した。そして、その後間もなく本件建築確認がなされるに至った。

(6) 被告建物の実際の建築敷地である七番一二の土地は準工業地域(準防火地域でもある。)であって、建基法五三条一項による建ぺい率の制限は六〇パーセントであり、右敷地面積は実測四九・八一平方メートルであるから、建築面積二九・八八平方メートルを超える建物は本来建築できないところ、前記のとおり完成した被告建物の建築面積は、これを大幅に上回る三九・九七平方メートル(建ぺい率八〇パーセント)であった。

(7) 被告建物の建築により、前認定のとおり四尺あった本件私道の幅員がわずか七〇センチメートルに狭められ、本件私道部分に幅員七〇センチメートルの間隔空間を残すのみで、その東側に三階建の被告建物が、その西側の七番一三の土地上に栗原某所有の二階建の建物が建ち並ぶ状態になった。

もっとも、被告玉利両名は、昭和五一年初めころ、特定行政庁たる江東区長に対し、被告建物について建ぺい率の制限に違反する状態を解消するための被告建物一部除却計画書を提出して、同年九月、被告建物の改造工事に着手し、同年一二月三〇日、右工事を完成させた。その結果、被告建物の建築面積は二九・八一平方メートル(建ぺい率五九・八四パーセント)となり、右の違反状態は解消された。右改造工事においては、被告建物の本件私道側である西側部分が一階から三階まで幅員一・八六メートルの範囲で除却され、これに代って、改造後の被告建物西側部分に一階より三階まで通じる幅員六〇センチメートルの鉄製外階段が設置されたが、なお右改造後においても、本件私道上には、公道からの入口部分と七番二五の土地寄りの部分に、七番一二の土地の西側端から約七五センチメートルの位置に被告建物を支えるための二本の鉄柱が立っている。

以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(二)  右認定の各事実を総合して判断するとき、被告玉利両名は、共謀のうえ、当初より七番一二の土地に建ぺい率の制限を大幅に超過する建物を建築する意図のもとに、実際に建築予定建物の建築敷地とする見込みのない七番二五の土地を敢えてこれに含ませた本件確認申請をし、その建築確認を得るための手段として、本件私道の拡幅を希望していた原告を言葉巧みに利用して内容虚偽の原告念書を取得し、さらには被告念書をも作成して、これらを区建築主事宛に提出して本件建築確認を得たうえ、原告が長年通行利用してきた本件私道をも大幅に狭める形で被告建物の建築工事を強行して(被告玉利両名は、本件仮処分手続において昭和四八年六月末ころ原告代理人より工事続行の承諾を得ているが、それに至るまでの経緯をみれば、既成事実を先行させたもので、工事強行のそしりを免れない。)、これを完成させたものといわざるをえない。

2  原告の被害について

(一)  前記1(一)で認定した各事実、ことに(7)の事実によれば、被告建物の建築により原告の本件私道に対する囲繞地通行権が著しく侵害されたことは明らかであり、右侵害状態は、右(7)で認定した昭和五一年九月から一二月にかけての被告建物の改造工事によりほぼ解消したということはできるが、なお、本件私道上に鉄柱二本が存在していることにより右侵害状態が完全になくなったとまでは認め難い。そして、右囲繞地通行権の侵害により、特に被告建物の改造工事がなされるまでの間、三年余の長きにわたって原告が原告建物での日常生活を維持するうえで、単なる通行上の物理的な不便に留まらず、日常生活全般にわたって不断の悪影響を強いられたことは、右侵害の程度に鑑みて察するに難くない(もっとも、原告主張の被告建物によって原告建物の玄関のドアが満開できなくなったとの点については《証拠省略》によれば、七番一二の土地上に林芳松所有の建物が建っていた時代にも、原告建物自体が七番二五の土地の北側境界線に迫って建っていたため、原告建物の玄関のドアが林芳松所有建物に妨げられて満開状態とならなかったこと及び被告建物の場合もそれとほとんど異ならないことが認められるから、右ドアが満開できないこと自体は原告の被害としては考慮し難い。)。

(二)(1)  原告は、そのほか、原告建物で長年営んできたクリーニング業についても、顧客が減少したほか、本件私道からの新規のクリーニング機械の搬入もできなくなり、営業上も多大の被害を受けた旨主張するが、右に認定した囲繞地通行権の侵害に伴い、ある程度営業上も不利益を被ったであろうことは察することができるけれども、それ以上に明確な形で顧客が減少したり、あるいは収入が減少した事実については、《証拠省略》によってもいまだこれを認めるに十分でなく、他に、これを認めるに足りる証拠はない。また、新規のクリーニング機械の搬入ができなくなったとの点についても、《証拠省略》によれば、もともと幅員四尺の本件私道からも新規のクリーニング機械の搬入は困難であったことが認められるから、右搬入のできないことは原告の被害とは認め難い。結局、原告の営業上の被害は、右に述べた限度においてのみ、原告の損害賠償請求権の有無及びその限度を判断するうえでの斟酌要素となるにすぎない。

(2) 原告は、また、三階建の被告建物により平家建の原告建物の採光、通風が阻害されたほか、圧迫感も受けている旨主張するが、前認定のとおり被告建物は原告建物の北側に位置しているから、右事実に照らして日照(採光)阻害についてはにわかに認め難いところであり、これを認めるに足りる証拠もない。ただ、通風阻害と圧迫感の点については、元来、建基法五三条一項による建ぺい率の制限は、建築物の敷地内に適当な空地、空間を確保することにより都市の過密化を防止し、居住環境の保護を目的とするものであり、主として公共の利益保護の見地に基づく規制であることは否めないが、他面、近隣の居住地域に限ってみれば、これにより付近住民を居住環境の破壊から守ろうとする意図をも有していることも否定し難いところであるから、建ぺい率の制限によって付近住民の受ける生活上の利益は法によって保護された利益と解するのが相当であるところ、被告建物は著しく建ぺい率に違反するものであるから、そのために本来被告建物の周囲に付近住民のためにも確保されるべき空地、空間が侵害され、その結果、位置関係からみて、その隣地に所在する原告建物の通風が無視できない程度阻害され、また、原告建物で生活するうえでも同程度の圧迫感を受けたであろうことは容易に察しうるところである。したがって、これは、原告が被告建物の建築によって受けた被害の一つとして、原告の損害賠償請求権の有無及びその限度を判断するうえで斟酌すべき要素となる。

(3) 原告は、そのほか、七番二五の土地の利用価値の減少による地価の低下を原告の被害の一つに揚げるが、被告建物の建築によりどれだけ地価が減少したか証拠上判然としないのみならず、その後被告建物の改造工事により原告の本件私道に対する通行利用はほぼ確保されるに至ったことをも併せ考慮すると、七番二五の土地の価格の低下を原告の被害として斟酌するのは相当でない。

3  損害賠償義務について

前記1項で認定した被告玉利両名の共同による加害行為の態様及び同2項で認定したそれによる原告の被害の内容、程度を総合して判断するとき、原告は、被告玉利両名の共謀による建ぺい率の制限に著しく違反し、かつ、原告の本件私道に対する囲繞地通行権を無視した被告建物の建築により、社会生活上受忍すべき限度を著しく超える精神的苦痛を被ったものというべきであるから、被告玉利両名は、民法七〇九条、七一九条一項に基づき、原告の右精神的苦痛に対し慰藉料を支払うべき義務があるといわねばならない。

しかるところ、被告玉利両名による右加害行為の態様及び原告の被害の内容、程度、その他本件に顕れた諸般の事情を斟酌するとき、その慰藉料額は金一〇〇万円と認定するのが相当である。

四  被告江東区に対する損害賠償請求について

1  区建築主事の違法行為について

(一)  本件建築確認の違法について

本件建築確認に至る経緯は、前記三項1(一)(5)で認定したとおりであるところ、原告は、右経緯からみて、区建築主事としては、本件確認申請書並びにこれに添付された原告念書及び被告念書を検討して当然に本件確認申請が建ぺい率違反の建物の建築を企図した違法なものであることの疑いをもつべきであり、かつ、その場合に事前調査をすればそのことが判明したにもかかわらず、事前調査もしないまま本件建築確認をしたのは、区建築主事において、本件確認申請の違法を認識しながら敢えて本件建築確認をしたか、あるいは過失によって本件確認申請の違法を知らずに本件建築確認をしたかのいずれかであって、そのいずれにしても本件建築確認は違法である旨主張するので、以下、検討する。

およそ建築主事が行う建築確認は、建築主が一定の建築物を建築しようとする場合、あらかじめ、その計画が当該建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例の規定に適合するものであることについて確認申請書を提出させて行うものであることは、建基法六条一項の規定自体より明らかであり、それによれば、建築確認は、提出された確認申請書の内容に基づいて当該建築物の建築計画が関係法令に適合しているかどうかを申請書類上判断し、公権的に確定する行為にすぎないというべきであるから、建築確認は書類審査をもって足り、建築主事は、それを超えて現場調査や原告主張のごとき事前調査をすべき義務を負うものではないと解するのが相当である(建基法一二条三、四項は、建築主事に建築主等から一定の報告を求め、あるいは一定事項について検査等をなしうる権限を認めているが、これは、建築主事の権限であって、義務ではない。)。そして、建築確認の右に述べた法的性格に徴すれば、当該建築物の敷地予定地上に現に他の建築物が存することが申請書類上明らかであっても、これを除却又は移転したうえで当該建築物を建築する計画であれば、右建築計画そのものは関係法令に適合している以上、建築確認をしたとしても、これを違法視することはできないというべきである。もっとも、建築主事において、建築確認申請が建ぺい率の制限の潜脱など違反建築物の建築を企図した違法なものであることを、申請書類上、あるいはその他の事情から認識しながら、敢えて当該申請者に特別の便宜を図るなどの意図をもって単なる形式的な書類審査を理由に建築確認をしたような特別の事情の存する場合は、当該建築確認が違法となる余地の存することも否定できないところである。

これを本件についてみるに、前記三項1(一)(2)、(5)で認定した各事実に《証拠省略》を総合すれば、本件確認申請においては、右申請に係る建築敷地である七番一二と七番二五の土地のうち後者については原告建物が存在していたが、これを除却したうえで被告建物を建築する予定であることが右申請書類上明らかであったこと、本件確認申請の当初は七番一三の土地が建築敷地に含まれていたところ、その後これが七番二五の土地に変更された経緯はあるが、七番二五の土地上の原告建物が除却予定であることの確実性を担保するために、原告の作成に係る原告念書が右確認申請書に添付されたこと、しかも、原告念書は、原告みずから本件私道の拡幅を欲する余り、区建築主事に対する関係においては結果的にはこれを欺く内容虚偽の書類の作成に加巧したものであること、以上の各事実が認められる。一方、原告が主張するごとく、区建築主事において、本件確認申請が建ぺい率違反の建物の建築を企図した違法なものであることを認識しながら、被告義男が江東区議会議員で、かつ、区議会の建築公害委員会委員であったために敢えて本件建築確認をした事実については、前記三項1(一)(5)で認定した本件建築確認に至る経緯からは右事実とは反対に区建築主事あるいは担当吏員において単なる書類審査に留まることなく、現地調査のうえ関係者の念書を求めるなど慎重な態度で本件建築確認をしたことが窺われこそすれ、原告主張のような事実を認めるに足りる証拠はない。

してみれば、区建築主事において、原告主張のごとき事前調査をすることなく原告念書の添付された申請書類上、建ぺい率の制限との適合性を含め、被告建物の建築計画が関係法令に適合していると判断してなした本件建築確認に原告主張のごとき違法はないというべきである。

(二)  本件建築確認の取消等を怠った違法について

原告は、区建築主事において被告建物の建築工事開始後間もなくから右建物が違反建築物であることを認識しながら、本件建築確認の取消あるいは設計変更等の適宜の行政指導をしなかったのは違法である旨主張するが、違反建築物に対する是正措置は建基法九条一項により特定行政庁(本件の場合は江東区長)の権限に委ねられており、建築主事に原告主張のごとき権限を委ねた規定は法令上存しないから、原告の右主張は、主張自体失当というべきである。

(三)  以上のとおりであるから、区建築主事に違法行為があるとする原告の主張はすべて理由がない。

2  江東区長の違法行為について

原告は、特定行政庁たる江東区長において被告建物の建築工事開始後間もなく右建物が違反建築物であることを認識しながら、建基法九条一項に基づく建築工事の施行の停止命令等の是正措置をとらずにこれを放置したのは違法である旨主張するので、以下、検討する。

一般に、特定行政庁が建基法九条一項に基づき違反建築物について建築主等に対してなす是正措置命令においては、右命令発付の要否、発付の時期、発付する命令の内容等は、同法一条に規定する建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉の増進に資することを目的とする同法所定の行政目的を達成する観点から、違反建築物の違反の内容、程度、それによる環境破壊の程度、それにより受ける付近住民の被害の程度、建築主等による自発的な違反状態解消の努力の有無、是正措置により受ける建築主側の経済的損失の程度、その他諸般の事情を総合考慮した特定行政庁の合理的な判断によって決せられるべき自由裁量に委ねられているものと解すべきことは、建基法九条一項の趣旨、文言及び右是正措置命令の性質に照らして明らかというべきである。したがって、特定行政庁が違反建築物について右のような是正措置をとらないことが付近住民等の第三者に対する関係において違法となるのは、特定行政庁において、当該建築物の違反の程度が著しく、これにより第三者が重大な生活利益の侵害を受けていることが明らかであり、一方、違反状態解消のための是正措置をとることに別段の支障がなく、建築主等による自発的な違反状態の解消も期待できないにもかかわらず、右の違反状態を認識しながらなんらの措置もとることなく、漫然とこれを放置し、違反建築物の存在を容認しているのと同視しうる場合など、その権限不行使が著しい裁量権の濫用に該る場合に限られると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前記三項1(一)(3)、(4)で認定した各事実に《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  前認定のとおり、原告は、昭和四八年三月二九日、被告江東区の担当吏員に対し被告建物が建ぺい率の制限に違反する建築物であることを訴えたほか、右建物により原告の本件私道に対する囲繞地通行権が侵害されていることをも訴えた。これを受けて、被告江東区側は、原告の最大の関心事であった囲繞地通行権の侵害の問題については民事紛争不介入の立場からこれを取り上げず、ただ、建ぺい率違反の問題については、直ちに被告江東区の建築公害部建築課長(区建築主事でもある。)が被告義男を呼んで事情聴取したところ、被告義男は、原告から原告念書を得ており、原告建物を買い取る話は進行中である旨説明して、原告と被告義男との言い分が相違したため、事態を静観するうち、同年五月二九日、原告より本件仮処分申請がなされた。右仮処分手続において、前認定のとおり原告と被告玉利両名との間に和解の話合いが進行し、被告義男からその旨の報告を受けた右建築課長は、その結果を待っていたところ、前認定の経緯から、右和解の交渉は決裂するとともに、被告建物は完成してしまった。

(二)  ところが、被告玉利両名は、被告建物の工事完了届を提出しないまま、同年一一月ころ被告建物に入居して使用を開始したので、特定行政庁たる江東区長としては、その時点で被告建物が建ぺい率の制限に違反する建築物であると判断したが、右違反状態は、被告玉利両名が原告建物を敷地を含めて買い取ることによっても解消するところ、被告義男は、その後においてもなお原告との右買取りの交渉が継続している旨右建築課長らに説明するとともに(現に、本件仮処分申請が取り下げられた昭和四九年六月ころまで、右交渉が断続的ながら持たれた。)、最終的に右買取りができないときは自発的に右違反状態を解消すべく被告建物の改造工事を行うことを言明していたので、特定行政庁たる江東区長の側では、なお事態を見守るうち、昭和五〇年二月一九日本件訴訟が提起された(このことは本件記録上明らかである。)。そこで、江東区長は、右訴訟における和解の機運を待ったが、訴訟の進展に伴い右買取りの見込みがほとんどないことが判明したため、同年暮ころより被告玉利両名に対し、被告建物の建ぺい率違反の状態の解消のための改造工事を行政指導として強く促し、その結果、前認定の経緯で被告建物の改造工事がなされるに至った。

以上の各事実が認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。

右認定事実に基づき考えるに、特定行政庁たる江東区長が被告建物の完成までの間に建築工事の施行の停止命令等の是正措置をとらなかったとしても、その間の経緯が右(一)で認定したとおりであってみれば、江東区長の右権限不行使について前示の意味での裁量権の著しい濫用があったとまでは到底認め難いことは明らかである。また、被告建物の完成後その改造工事がなされるまでの三年余の期間についてみても、一度完成された建築物をその一部であっても軽々に除却することは、一人所有者にとってのみならず、国民経済的観点からみても損失が大きいこと、したがって、その間被告玉利両名が原告建物を敷地を含めて買い取ることにより被告建物の一部を除却しないでも違反状態を解消できる余地が存する以上、それを待つこと自体には相当な理由があること、前認定のとおりその間原告の本件私道に対する囲繞地通行権は著しく侵害されていたが、右通行権の侵害をめぐる紛争そのものは、その性質上江東区長の関与すべき事柄ではなく、また、被告建物の建ぺい率違反状態の解消は必然的に原告の右通行権侵害状態の解消に結びつくものではなく(建ぺい率違反状態そのものの解消は、被告建物の本件私道側部分の除却でなく、その他の部分、例えば東側や南側部分の除却であってもよい。)したがって、原告が右通行権の侵害によって受けた前認定の生活利益面での被害は、即被告建物の建ぺい率違反状態の継続によって生じたものとは一概に断じ難い面もあること、以上の諸点のほか、右(二)で認定した経緯に鑑みれば、被告建物の完成後、その建ぺい率違反の状態が解消されるのがやや遅きに失した感は否めないが、その間特定行政庁たる江東区長の権限不行使について、被告建物の建ぺい率違反状態を容認したと同視しうるほどの著しい裁量権の濫用があったとまでは認め難いといわざるをえない。その他、本件全証拠によるも、右裁量権濫用の事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、江東区長に不作為の違法があるとする原告の主張も理由がない。

3  以上によれば、区建築主事及び江東区長に違法行為があることを前提とする原告の被告江東区に対する損害賠償請求は、その余の争点について判断するまでもなく理由がないことに帰する。

五  結論

以上の次第で、原告の本訴各請求のうち被告玉利両名に対する請求は、右被告両名各自に対し、慰藉料金一〇〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五〇年三月二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、被告江東区に対する請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 横山匡輝)

〈以下省略〉

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